今回は、社会人博士進学の前日譚として学生時代のことを書きます。管理人は学生時代から博士を志望していましたが、事情により断念し、社会人博士の道を目指します。学生時代に考えていたことを残します。
管理人のキャリア全体感はこちら
https://blog.hatena.ne.jp/nekoace/nekoace.hatenablog.com/edit?entry=13574176438047072608
本記事の狙い
社会人博士課程に興味がある方、サラリーマンでももっとハードワークできるぞ!と感じている方、に対してケースを提供すること。
特に、今回は入学に至る下準備について書いていきます。
前回記事はこちら
https://blog.hatena.ne.jp/nekoace/nekoace.hatenablog.com/edit?entry=13574176438047072608
最初の学生時代
管理人は、地方国立大学(非旧帝)出身で物理勉強してました。今思い返すと将来のプランというものを持っていなかったなあと感じます。周囲の親族含め大卒がいなかったためということもあるのですが、大企業に入って働く具体的なイメージがどうしてもつかなくて(笑)。むしろ歴史小説が好きで、現代における天下布武とはなんだろうか、とかいうことを真剣に考えている痛い学生でした・・・。むしろ、大学には行かずに小説家になろうか、とか青年海外協力隊に行こうかとか真剣に検討してました。ま、結局そこまで冒険する理由もなかったので滑り込んで国立大学に入った感じです。
ただ、当時から自分で考えて行動するのが好きだという感覚があって、事業立ち上げとかはやってみたいなあ、と思っていました(といっても影響を受けたのは「おーい、竜馬」の坂本龍馬とかですが)。
物理学を選んだのは、そのように将来のプランを持っていなかったので、なんとなく一番基礎的な学問である理学をやっといたら後でどんなキャリア行くにしろ使えると思ってのことです。ただ、教員にはなる気はなかったので、教員免許はとってません(当時理学部だと半分以上は教員免許を取りに行っていたイメージがあります)。
初めての研究生活
さて、就職というものを多少なりとも考え始めたのは学部4年生で研究室に入ってからかもしれません。
専攻したのは物性物理学で、セラミック材料の材料開発をしていました。この時には、どうやら大学を卒業すると入社式というものがあって、会社に入って働くらしい、ということが分かってきた時期です。理系だと電機メーカーとか自動車メーカーとかが採用人数が多いんだなあ、そしてしっかり研究してれば会社に入っても研究できるらしい。それは凄い、頑張ろう!そんな感じです。
どうやら研究というものは性に合っていたようで、研究すること自他は凄く楽しんでできました。また、もともと周囲のノイズを気にしない性格なので、指導教員から受ける様々なプレッシャーを正面から跳ね除けに行くタイプでした。
また、物性物理の主要命題である「誰も見つけていない物理現象を見つける」ということに対してもポジティブに捉えることができました。一見壮大な目標に興奮したんです。毎日一生懸命論文を読んで、だれよりも早く実験を覚え、一人で黙々と研究を進めていました。材料合成にかける時間が長かったのですが、実験で使うロータリーポンプの調子が悪いとその横で寝袋を敷いて一晩中実験を見守ったこともあります。
そんな生活をしていると当然ですが、一生研究しているのもいいかもしれない、と思ってきます。しかし、(なんとなくわかるかもしれませんが)そんなに裕福な家でもなく、これ以上学生生活を続けるのも難しい。さて、どうしたものかと考えました。
そんなとき、何の本だったか、著者紹介のところに、大学卒業から年を置いて博士号取得している方がたくさんいることに気づきました。そしてもっともっと調べていくとどうやら社会人博士というものがあり、社会人として数年(もしくは数十年)働いたのちに大学に戻って博士になるケースがあるようです。
そこまで知った時点で自分の進路が決まりました。
「博士取れる会社に行こう」
就職活動
企業選びの方針が決まったところで、企業研究です。これ私はめちゃくちゃ得意でした。
だって業界地図と戦国大名の勢力図って似てますよね^^↓
特に「信長の野望」が大好きだったんですが、あれいいですよ。城ごとの人員と物品配置はリソースマネジメントそのものですし、戦略論も経営戦略に通じるところがあるので。
というわけで業界地図と四季報が愛読書になって、特に四季報は付箋でびっしりハリネズミです。で、どんな業界があるのかなーとパラパラやって、関東近郊で、物理系の採用が多いところ、ということで、精密だったり電気系の会社がいいな、ということで集中して受けました。
今の学生さんなら、ワンキャリアとかの口コミサイトが中心になるんでしょうか。Open Work みたいなサイトも含め情報が多くていいですね。
幸いにも、いくつかの企業から内定をもらって、最終的には、その中で一番経営がやばそうなところを選びました。そういった会社が自分が本当にやりたい新規事業への本気度が高いだろう。だから、事業立ち上げするチャンスも多いだろう。ということです。
この仮説は半分あたりで半分外れかなあと。
1番経営がやばそう、というだけあって、一社目の会社ではいろんなことをさせてもらいました。ボトムアップな社風の会社でしたので、比較的提案が通り、若いうちにリーダーやマネジメントに近い仕事もさせてもらってとてもためになりました。
しかしながら、一番経営がやばそうな”大企業”を選んでしまったことに起因するのですが、意外と既存事業がしぶとくて売り上げが落ちない。これはこれでいいことなんですが、組織慣性によって、既存事業から技術的、サプライチェーン的なケイパビリティが外れた事業、つまり新規事業がなかなか事業化できないという苦しみを味わいました。
考えてみると、”経営がやばそう”ということは”破綻はしていない”わけで、組織として縮小均衡に陥っている場合はしょうがないんですよね。
まあ、いろいろありましたが、無事就職活動は終えることができたわけです。
入社時の立志
入社時に抱いていた人生設計です。
私なりに新規事業ってなんだろうかと考えていたわけですが、最初の方針として、ざっくりの人生設計を作りました。それは、ライフイベントを早めに終わらせて、10年単位で二回チャレンジすること、でした。
つまり、二十代に結婚と社会人としての基礎づくり(とはいっても具体的にそれが何を意味するのかはよく分かっていない)。三十代でトライ1,四十代でトライ2,五十代で独立です。
新規事業って研究→開発→量産の一連を自分でやると短くても5年、長くて10年くらいかかるかなあと思ってのことで、10年単位で違うことをやってどっちかで成功すればいいかなあという感じです(結果的にこの目論見は甘かったと言わざるを得ない)。
最後に
いつもと違って、うまくまとめができません(いつも上手いかは置いておく^^
なんだか日記風になってしまいましたが、nekoaceのアイデンティティを書いてく上で必要な気がしたので書きました。ブログってこんなもんかもとも思うけど。
また次回に。